涙が止まらなかった時

先日、会食で高額の売却を断ったという話を聞いた。どうして断ったのかというと、売却がゴールじゃなく、世界で自力で勝負をしたかったからだそうだ。

その話を聞いて、思い出したのが自分が売却の話をもらった時のことだ。

数年前、会社があと3ヶ月でヤバいとなったときに、ある会社がうちの会社を買ってくれると言った。その当時、本当にきつかった。どうしてこうなったんだ、早く解放されたい、自分は本当に経営者として未熟だと。先方の提示金額は、当時受けてた融資含めても僕にお金が残る金額だった。
その話を受けた瞬間、一瞬気持ちが楽になった気がした。懐に残る金額で思い浮かぶものは何もなかったけど、何もかもから解放されて楽になるんだとは少し思ったのかもしれない。
話が終わってビルを出た瞬間、両手を膝につき下を向いて僕は泣いていた。
涙が止まらなかった。
楽になろうとした自分が悔しかった。
気持ちが揺れた自分が情けなかった。
そんなもんだったのかよと自分に言った。

僕は電車に乗らずにそこから歩いて会社まで帰った。電車を待つ時間が何だか、何か来て欲しいと立ち止まって待っているだけのような気がして嫌だったからだ。
山の手線の線路に沿って、地図も見ずに歩きながら会社に帰る道の途中で考えた。
会社を続けること、もし潰れてしまったらということ、売るということ。
主にこの3つについて。

会社を続けることで見えたビジョンは、このピンチを乗り越えたことを社員と喜び、よりチームが強くなっていること。

潰れて見えたビジョンは、そこまでの男だった。でも、またやればいい。今日の売却話を断ったことを決して後悔しておらず「断ったくせに格好がつかなかったな」笑いながら、また信じて一緒にやってくれる仲間と奮起している自分。

売ることで見えるビジョンは後悔している自分だった。まだやれるのに、楽を選んで逃げた自分を後悔している姿だった。

会社に帰る頃には、前を向いていた。

「ここで潰れればそこまでの男」

人事を尽くして天命を待つ

僕が大好きな言葉。

命ある限り、可能性ある限り、やってやろうじゃねぇか。

ここまでやって駄目なら、運がなかったということで。そう言えるまで、やれること全部やりきろうじゃないか。

全ての出来事は、乗り越えるための試練なり。

引き続き、フルアウトしていきます

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