なんのためにそれをやっているのか

情報化社会と言われて、もう20年以上が経ちます。
年々、その情報というのはどんどん手に入りやすい世の中になっています。
情報が増えているだけでなく、その方に合った情報を提供されるようにもなっている。
それはテクノロジーの力もあるでしょうし、本人がこれはいいと思ったもの何らかの形で好んで
新しい情報が簡単に届くようになっているからかもしれません。

自分に興味がある情報、自分が興味を持ちそうな情報、
どちらも入ってくる世の中にどんどんなっていっています。

沢山のことを知れることはとてもいいことです。
知識が増え、自分の視野も広がることでしょう。

でも、僕は一つ思うことがあります。
それは、なんのためにその情報が必要なのか、なんのためにそれを学ぶのかというのを
念頭において情報を取りに行けているのかです。

情報を入れた分だけ、それを一生忘れない知識に出来るかというとそうではないと思います。
人間は忘れる生き物だと言いますから、そういう部分もあります。
しかし、しかし自分にとって必要だと感じる情報はなかなか忘れないのではないかなと思っています。
自分にとって必要と思う情報はなにか、それは「自分がどうなりたいか」というなりたい自分から設定された必要な情報だと思います。

仮に自分は「頼られる人になりたい」と設定したとしましょう。
じゃあ、世の中で自分が頼りたいと思う人はどんな人だろう、もしくは頼られているなこの人って思う人ってどういう人だろうと
考えれば、自分の頼っている人や世間を見渡した時にこの人は頼られている人だなと思う人から学べば良いのです。
その人にどうして人は頼るんだろう、その人がそういう存在になった生き様、人生はどんなだったのだろうと学べばヒントが沢山あると思うのです。
沢山情報がある今の社会で、大切なのは流れてくる、とりあえずな情報をただ見るのではなく、自分はどうなりたいのか、それを実現するためには
どんな方法が必要なのかという情報を取りにいくことだと思っています。

こういう人になりたいという抽象度の高い想い(感情)とじゃあその人は事実で言うとどういう人なのか(論理)この二つがないといけないと思っています。
この感情ははっきりさせていくにも、そうなるためのスキルや経験すべきこと、手に入れる能力のための計画を立てる論理も二つあってこそ
自分の想いに向けた道筋は見えてくるのではないでしょうか

結局、自分の想いも漠然として、更にはそのための計画も、
どんな情報を手に入れればいいのかもはっきりさせていなければ

なにの軸も定まってないわけでこの情報化社会のあふれる情報に飲まれ、
ラクで楽しくて華やかなに見える世界ばかりを追ってしまうのではないでしょうか。

何か触れて「私はこれがやりたかったんだ」と心だけで思えるなら人は苦労しません。
僕は論理と感情のバランスという話を社内でよくします。
この二つをうまく活用することで「なんのために」というビジョンが見えて、そのために今自分が何をしないといけないのか、それをして何を得ることが重要なのかが見えてくるのではないでしょうか。

人生の充実とは、好きな場所に行ったり、好きな人と過ごす、やりたいことをやることもそうですが、
毎日毎日をかみしめることだと思っています。

自分自身が毎日毎日を噛みしめていくために、引き続きビジョンに向けてフルアウトしていきます。

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