全力でやると愚痴がでない話

誰かのせいにしたり、環境のせいしたりするのって
自分が全力で取り組んでない証拠なんだなと思う。
今、一つの問題に対してどうすれば打開できるのかを最初は
あれこれもどれもと考えていたんですが、考えながら整理をし
実際どうなの?って思うことは現場からヒアリングもして
あっこれが一番の問題なんじゃね?って気づいたときに思ったのは
責任者の責任でもなくて、現場がそこを解決する力がなかったことでもなくて
どうしてもっと早く気づけなかったんだろ、俺。だった。
僕が気づいて、そこを解決する仕組みなり考えなりを構築出来ていれば
もっとできたことがあったなと反省。。。

なので誰がどうのこうのやら、世の中がどうのこうのやらなんていう愚痴なんて一つもなくて、
それは何の解決策にもならなくて、この問題ともっともっと深く深く掘って
向き合ってればなんていう、勝手に迷ったふりしてんじゃねぇよ、俺。

という結論だった。

誰かがどうだとか、環境がどうだとか言う前に
思い浮かぶ自分はやるべきこと全部やったのか?って問いかけるのは重要。
ほとんどがやりきってないからね。
だからといって、やりきるまで相手には思うことを言わないというのは矛盾するようだけど
これは逃げ。

相手に言ってみるから、自分が出来てないことがあることを素直に受け入れられたりすることもあるし
発言してみて、気づく自分の至らなさもあったりするしね。
だから、全力っていうのは自分が今思うことを発信してみる、やってみるの両軸が必要なんだろうな。
そうすることで、自分がやれることはやろうと思えるし、できないことは頼れるし
感謝の気持ちも強くなる。

今回の本質的課題は解決するためには、やってみないと見えない数字があって
その数字の中には、新たな投資が必要。
それも仮説に基づいたデットラインを引きながら実際どうなんだという検証も必要なわけで。
そういうのって、責任者を置いていてもなるべく予算を使わないように、または予算計算して
僕にこれぐらいかかりそうですとあげないといけない部分も出てくるわけで。
じゃあ、ある程度の予算を先にあげればいいやんという話なんだけど、実証の結果に基づいた
未来の仮説の上で予算を持つのと、仮説だけで予算を持つのでは結局、後者でもし予算がそれ以上にかかるとなると
追加費用によるコストだけでなく、コミュニケーションコストもかかるわけで。
であるならば、自らが入り、オリャっと臨機応変な対応をし
実証検証のサイクルの上で仮説を持つ方がコミュニケーションコストも下げて、かつ質も上がると思う。
つまり、見えないものほど経営者自らのコミットが重要ということですね。
本質的な問題が何かもわかったし、それを解決するための方法も早速動いているので
ただただ、あとは進めていくだけ。

いやぁ、超楽しい。
今日は、管理部が一つのピンチを乗り越えてくれました!
そのピンチを乗り越えるべく電話もしてきて、帰り間際に「今日はすみませんでした。来年もよろしくお願いします!」
と謎の挨拶をされ、それに謝りながら笑ってるし。笑
来年じゃなくて来期だし、まだ今期あと5日も残ってるちゅーの!っと思った一日でした。
いやぁ、成長してるな。仕掛けてくるな。
大丈夫だったかなと思いましたが、いらぬ心配でしたね!
まぁ、僕の一日もまだ終わってないので本質的課題解決のために引き続きフルアウトします!

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